

「フランスで最も美しい村」協会認定のブブロン村。
歴史的遺産を今もなお残す木組みの家並み、
メルヘンたっぷりのかわいらしい村の散策が
楽しめます。
パン屋さん、雑貨屋さんではパリで
買えない素朴なお土産が見つけられるのも嬉しい。
子供に戻ったように道草感覚で旅したい。
そんなひらめきから開発されたモンサンミッシェルと
ノルマンディー村シリーズツアー初の第1号村。



を飾った生活雑貨屋さん








生活雑貨屋には オリジナル雑貨 がいっぱい! お土産探しにも 最適!

名産カルバドス 入りりんごタルト をクレープで 包んだ村の 名物スイーツ 「ブブロン」は おすすめの絶品! パン屋さんで販売

ブブロン村に新登場!オリジナルイラスト入りマカロンはフレーバーも多くどれにしようか悩んでしまう。
※店舗は予告なく閉店・休業になることもあります。



ブブロンオンノージュ村の村長ミッシェル・カファールです。<フランスの最も美しい村>の一つに登録されているノルマンディー、オージュ地方にある私達の小さな村では、ノルマンディーの伝統的な建物や町並みがこの村を訪れる皆様を心よりお待ちしております。また、エミトラベルパリで訪れるお客様に、とっておきの村の名産物を味わっていただけることを心より楽しみにしております。
ブブロン村長カファール氏より

エミトラベル専属仏政府公認ガイド浜田氏の村のお話

ノルマンディーのブブロン村の魅力に浜田氏が迫る!
ブブロン村のおはなし



パリから高速13号線を西に走って2時間ほど、カルヴァドス県の中心地カーン(Caen)の案内が見える頃にハイウェイを出て、7Km。細い田舎道を辿って行くと思わず車から降りたくなるような村に入ります。ブブロン・アン・オージュ(Beuvron-en-Auge)の村です。
ブブロン村で訪問者の眼を一番に魅了するのは、ノルマンディー特有の<木骨造りの家>
が一軒一軒、孤立せずくっ付き合って並んでいることです。しかも家々が円陣を組んで村を守っているかのようです。家々は肩寄せ合いながら西洋ナシ型の広場を作っています。ブブロンの村は私達を工業化以前の社会へとタイムスリップさせてくれます。
そこでは、腕の達者な職人たちが店を構えて馬具、家具、靴、樽、なめし皮、織物、帽子などを造り、いまではもう見られない光景を提供していたはずです。また広場にあったホールでは朝市や定期市が開かれていました。周りの小村から徒歩で、あるいは2輪馬車に乗った農民たちが野菜、玉子、バター、チーズ、シードル、鶏などを運んでくる様子が、広場の真ん中に立っていると鮮やかによみがえって来るようです。広場にはまた、国民祭やカトリック祭のたびごとに多くの村人たちがおめかしして集まり、広場は賑やかな社交の場になっていたのでした。
ところが、社会が急速に工業化され、大量生産の世の中になると、物ひとつひとつを丁寧に作り上げていく職人たちは顧客を失っていきました。産業化社会は人を都市に集中させ村人たちは都市へと四散していきました。1870年には鉄道駅が敷かれ駅がブブロンの村はずれにもオープンし、豊かな牧草で飼育された牛を都市へと輸送し、一時、村は時代の波に乗ってはいました。しかし、第一次大戦後、村は鉄道廃線の憂き目に会います。多いときは千人の人口を数えたブブロンの村はその過疎化現象を甘受し始め1933年にはわずか人口333人となっていました。
広場のホールは老朽化し、周りを取り囲む木骨造りの家々も屋根には穴が開き、漆喰壁は崩れ始めていました。つまりブブロンの村は瀕死の状態に陥っていたのです。
やがて、第2次世界大戦が勃発するとブブロンの村はドイツ軍に占拠されるという不幸に遭遇します。しかし不幸中の幸いと言うか、村はノルマンディー上陸作戦の圏外にありました。ドイツ軍が去り、戦争も終わりを告げるとフランス社会は経済復興のエネルギーに満ちあふれていました。時代は鉄道から自動車の時代に入って行きます。都市と都市を結ぶ高速道路が建設され、農村風景や村そのものが無視されるかのように壊されていきました。
しかし、同時に車と高速道路は<好きな時に行きたい所へ>人を迅速に運べるようにしました。現代ツーリスムの誕生です。
そこで、この時の村長であったヴェルミュゲン氏(Vermughen)は撤去されたホールの跡地にツーリスム指向の建物を置くことを考えました。そして、カルヴァドス県やブブロン村保存協会の協力を得て、高速インターチェンジのできた村・ヴーズヴィル(Beuzeville)の木骨造りの館を解体し、それを1975年、ブブロンの村に運んだのです。
そしてこの舘を減少していくばかりの村民の為のホールではなく、都市からドライブして来る人達を呼べるような建物にしたのです。
このどっしりとした舘を見ると、村長さんが現代ツーリスムを念頭にして村おこしと村の保存を考えていたことがよく解ります。まず、この舘の入り口には観光案内所が置かれています。そして何よりもこの舘の中にグルメのレストランを誘致したことはグッドアイデアでした。
レストラン、パヴェ・ ドージュ(Pave d’Auge)の評判は高く、日本人でもいまや知らない人はいないミシュランの赤いレストランガイドブックにも紹介されています。
つまり、人口現在230人の村ブブロンは世界の人達が旅のバイブルとして愛用しているミシュランの本の中に紹介されているのです。
また、村長さんは保存協会と連携しながら村を季節の花々で飾る努力も始めました。このようにして、ブブロンは<フランスの最も美しい村>協会によって認定され、リーダーズ・ダイジェスト社発行の本にも紹介されるようになったのです。
<最も美しい村>であるための条件については、件のリーダーズ・ダイジェスト社の本の後書きに次のように紹介されています。<人口が2000人以下であること、少なくとも二つの保存文化財(風景または建造物)を有すること、村議会で美村認定申請を討議すること>
また、1982年に<最も美しい村>協会が発足されたきっかけは<フランスには多様な村々がありますが、その中でこの200年間来の急激な社会の様変わりにもかかわらず奇跡的にも懐かしき良き時代の面影を残している村があります。そこから私達に感動が生まれたのです。>と述べられています。